移植後退院まで。(9)
2011/09/19 Mon
再移植のため、わたしからの「抹消血幹細胞移植」の準備を始めた頃から、実は、娘の記録が、極端に少なくなっています。ちょうど、DAY25あたりからです。
記録をつける気持ちの余裕がなくなっていたのか・・・・記録をつけてもつけなくてもなるようにしかならない・・・・みたいな心境になっていたのか・・・・その両方だったように思います。
だからといって、すごく暗くてどうしようもなく落ち込んでいたわけでもなく、ましてや、娘がどうにかなるなんでことも考えていなかった。(ちらっと頭の片隅にはあったかもしれないけど、そういう気持ちにはとても鈍感になっていました。)
通常は1回ですむところ、細胞数が足りなかったとかで、2回、採取しましたが、それも無事におわり、わたしは、退院、といっても、自分の病室を出て、家には帰らずそのまま娘の入院している無菌室へ。
娘の顔をみると、ほっとした。何日も会わなかったような気分だった。
移植の前処置で、全身放射線をあびます。そのとき、肺を放射線から守るために、胸に鉛を置くのですが、その位置は重要で、すこしでもずれてはいけないので、墨のようなもので、胸と、背中、肺の形のように鉛をおく位置の印がつけられていました。
移植後、25日間・・・・壮絶な戦いの間、だんだんその墨のあとが、薄くなってきていたのですが、久しぶりに娘の着替えを手伝うため、パジャマを脱がせたとき、その印がもういちど濃く書き直されているのをみて、すごくショックを受けました。「あ、もう一度、放射線をあびるんだ・・・。」という現実に気づかされたのです。
だいじょうぶ、だいじょうぶと言い聞かせている自分、鉛の印をみて現実に愕然とする自分、最悪のことを考えてしまいそうになる自分、いろんな自分が、バラバラになっていきそうになるのが一番の恐怖でした。


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記録をつける気持ちの余裕がなくなっていたのか・・・・記録をつけてもつけなくてもなるようにしかならない・・・・みたいな心境になっていたのか・・・・その両方だったように思います。
だからといって、すごく暗くてどうしようもなく落ち込んでいたわけでもなく、ましてや、娘がどうにかなるなんでことも考えていなかった。(ちらっと頭の片隅にはあったかもしれないけど、そういう気持ちにはとても鈍感になっていました。)
通常は1回ですむところ、細胞数が足りなかったとかで、2回、採取しましたが、それも無事におわり、わたしは、退院、といっても、自分の病室を出て、家には帰らずそのまま娘の入院している無菌室へ。
娘の顔をみると、ほっとした。何日も会わなかったような気分だった。
移植の前処置で、全身放射線をあびます。そのとき、肺を放射線から守るために、胸に鉛を置くのですが、その位置は重要で、すこしでもずれてはいけないので、墨のようなもので、胸と、背中、肺の形のように鉛をおく位置の印がつけられていました。
移植後、25日間・・・・壮絶な戦いの間、だんだんその墨のあとが、薄くなってきていたのですが、久しぶりに娘の着替えを手伝うため、パジャマを脱がせたとき、その印がもういちど濃く書き直されているのをみて、すごくショックを受けました。「あ、もう一度、放射線をあびるんだ・・・。」という現実に気づかされたのです。
だいじょうぶ、だいじょうぶと言い聞かせている自分、鉛の印をみて現実に愕然とする自分、最悪のことを考えてしまいそうになる自分、いろんな自分が、バラバラになっていきそうになるのが一番の恐怖でした。


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