転校を繰り返して思うこと。
2010/06/27 Sun
6月26日(土)
午前中は部活。ゆっくり寝かせてやりたいと思い、起こすのはギリギリ・・・・。車で送ってなんとか間に合う。
帰りは、自力で歩いて帰ってくる。「明日、お友達と遊んでい~い?」と。テストが終わったので打ち上げなのか、同じクラス、同じ部活のお友達、4人でカラオケにいく約束をしてきたという。(今度は、少人数なので、歌う気満々・・・。)
入院中の学校のこと・・・・。
長期入院になると、地元の学校から、その病院のある区の特別支援学校に転校しなければならない。
特別支援学校で、病院への訪問授業を行っているからだ。
はじめに長期入院をしたS病院は、訪問だけではなく、病院の中に、○○○学級といって、特別支援学校の出先機関のように、教室をもっていた。生徒は、基本的に病室から、その教室に登校。具合がわるい、病室を出られない場合は、○○○学級から先生が病室に訪問して授業をしてくれる。
そういう関係もあるのか、転校の手続きのために、△△区の教育委員会(学務課?)の方とも会わなければいけなかったのだが、病院の方に、区の方と、特別支援学校の先生がきてくださって面接(といっても、簡単に病状などを聞く程度)してくださった。
病気がわかって、入院生活がはじまったばかりのころ・・・娘の発病というショックも冷めやらないまま、わたし自身、気持ちの余裕がなく、目の前のことをこなしていくことで精一杯だった時期・・・。そんな状態だったので、病院まで担当の方が出向いてくださったのが、とても有難かった。
つぎに転院した「移植病院」は、区がかわってしまうため、また、その区の特別支援学校に転校することになる。「移植病院」では、S病院のような○○○学級はなく、先生が、特別支援学校から、病院に訪問して授業をしてくれるスタイル。
転校の手続きで、その区の教育委員会(学務課?)の方と会わなければいけなかったのだが、区役所まで来るように言われた。
その当時は、病院に泊まりこんでおり、病院から区役所に出向いた。寝不足でふわふわしながら、病院の前からバスに乗って区役所まで行った。入院して5ヶ月ほど経っていたて、精神的には少し、楽になっていたので、「まあ、こんなものか・・・。」と思ってでかけたが、区の職員に、経過や今の状態をささっと聞かれただけの面接・・・・。夜中も、子供の看病をしている親をわざわざ呼び出してまで、しなければいけないことなのかね~~???と、今にして、思う。今度、転校する特別支援学校の先生と話をするならまだしも、役所の職員は、ただ、書類を作るためだけの面接だろ??電話とか、郵送で、できるだろ??て、思う・・・。
そういうと、たぶん、状況によっては考慮します・・・ってなるんだろうけど、考慮して「来なくていいようにできること」であれば最初からそうしろよ!って話です。
移植病院から、退院して、一度、地元の小学校にもどったあとも、GVHDで、長期入院してしまったので、結局、その区役所には、2回、転校のことで面接にいっているわけですよ・・・。
きょうは、(めずらしく)毒を吐いてしましました。

ごめんね。
午前中は部活。ゆっくり寝かせてやりたいと思い、起こすのはギリギリ・・・・。車で送ってなんとか間に合う。
帰りは、自力で歩いて帰ってくる。「明日、お友達と遊んでい~い?」と。テストが終わったので打ち上げなのか、同じクラス、同じ部活のお友達、4人でカラオケにいく約束をしてきたという。(今度は、少人数なので、歌う気満々・・・。)
入院中の学校のこと・・・・。
長期入院になると、地元の学校から、その病院のある区の特別支援学校に転校しなければならない。
特別支援学校で、病院への訪問授業を行っているからだ。
はじめに長期入院をしたS病院は、訪問だけではなく、病院の中に、○○○学級といって、特別支援学校の出先機関のように、教室をもっていた。生徒は、基本的に病室から、その教室に登校。具合がわるい、病室を出られない場合は、○○○学級から先生が病室に訪問して授業をしてくれる。
そういう関係もあるのか、転校の手続きのために、△△区の教育委員会(学務課?)の方とも会わなければいけなかったのだが、病院の方に、区の方と、特別支援学校の先生がきてくださって面接(といっても、簡単に病状などを聞く程度)してくださった。
病気がわかって、入院生活がはじまったばかりのころ・・・娘の発病というショックも冷めやらないまま、わたし自身、気持ちの余裕がなく、目の前のことをこなしていくことで精一杯だった時期・・・。そんな状態だったので、病院まで担当の方が出向いてくださったのが、とても有難かった。
つぎに転院した「移植病院」は、区がかわってしまうため、また、その区の特別支援学校に転校することになる。「移植病院」では、S病院のような○○○学級はなく、先生が、特別支援学校から、病院に訪問して授業をしてくれるスタイル。
転校の手続きで、その区の教育委員会(学務課?)の方と会わなければいけなかったのだが、区役所まで来るように言われた。
その当時は、病院に泊まりこんでおり、病院から区役所に出向いた。寝不足でふわふわしながら、病院の前からバスに乗って区役所まで行った。入院して5ヶ月ほど経っていたて、精神的には少し、楽になっていたので、「まあ、こんなものか・・・。」と思ってでかけたが、区の職員に、経過や今の状態をささっと聞かれただけの面接・・・・。夜中も、子供の看病をしている親をわざわざ呼び出してまで、しなければいけないことなのかね~~???と、今にして、思う。今度、転校する特別支援学校の先生と話をするならまだしも、役所の職員は、ただ、書類を作るためだけの面接だろ??電話とか、郵送で、できるだろ??て、思う・・・。
そういうと、たぶん、状況によっては考慮します・・・ってなるんだろうけど、考慮して「来なくていいようにできること」であれば最初からそうしろよ!って話です。
移植病院から、退院して、一度、地元の小学校にもどったあとも、GVHDで、長期入院してしまったので、結局、その区役所には、2回、転校のことで面接にいっているわけですよ・・・。
きょうは、(めずらしく)毒を吐いてしましました。

ごめんね。
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コメント
毒を吐いたって
書類のやりとりで済むかも…と思ったところだけは、訪問学級のN先生(明るく輝いてる…でも多分ボス先生より年上みたいですよ)にお願いして役所に行くのを省略してもらいました。
なかなか書けない2008年12月治療開始のこと。まずは学校手続きのことから書き初めてみようかな。気づかせてくれたawagonさん感謝です。
そんな、そんな、恐縮です・・・。
今だから、理解できること・・・。今でも、「毒吐きたい」こと・・・いろいろあります・・・。
風化してしまう前に、少しでも書きとめておきたいと思うのですが・・・。
「毒、吐きまくり」ブログになったらどうしよう・・・・(笑)