発病から移植まで。(14)
2010/05/25 Tue
2008年10月の半ばすぎ、骨髄移植のために転院する病院の見学にいく。
自宅からは、電車で1時間もかからない、駅からも近い交通の便のよい病院でした。
S病院の先生から、しっかり連絡をいれてくれていたようで、月曜日という1週間のはじまりの曜日で、なにかと先生方も忙しいだろう日でしたが、すぐに、血液内科のトップの先生が対応してくださる。
しかも、その先生は、発病直後に地元の総合病院から紹介された患者だったということを覚えてくださっていた。
地元の総合病院の小児科は、この大学病院の系列の病院で、まず、最初に、ここをあたってくれたのですが、当時は、血液疾患の患者さんが多かったのか、無菌室の余裕がなかったのか、断られました。
それで、S病院に入院することになったのですが、民間の病院と大学病院・・・・。やはり、同じ病院といえども、全くタイプがちがっていて、ダンナといっしょに見学にいったのですが、ふたりで、おそるおそる・・・・足を踏み入れた・・・感じでした。
大学病院は、やはり、治療第一!といった感じで、廊下に無駄に飾りなんかはなく、殺風景・・・・。それに、たまたま、だったのかもしれないが、静かでした・・・・。廊下に子供の声がしない・・・。(たぶん、見学にいったとき、たまたまそうだったのでしょう・・・)
でも、ちらりとみせていただいた無菌室が、え?これが?という普通の個室で・・・・あんまり、物々しい感じではなかったのが意外でした。
娘は、とにかく、転院したくない!!S病院をはなれるのがいや!お友達や、看護師さんと別れたくない・・・と、ずっと、いい続けており・・・・先生や、看護師さんには言わないけれど、わたしには、ぐちぐち言う・・・。「そんなこといったって仕方ないでしょ~~。」と言うんだけれど、娘の気持ちもすごく良くわかったし、わたし自身も、S病院とまったくちがう雰囲気の病院に不安になっていた。この転院に関しては、やはり、どうしようもなく悲しくて、訪問学級に、転校することになった(特別支援学校のエリアがかわってしまうため)ことを、報告しにいったときに、先生の前で、ボロボロ泣いてしまった。
そんなこんながあっても、転院までのカウントダウンがはじまる・・・・。
その月のおわり、S病院での最後のムンテラがあった。
ムンテラといっても、そのときは、いつもとちがって、外来棟(新館で、きれい)のゆったりとしたラウンジのような待合室で、かかわってくださった先生方がほとんどいらして、プライマリの看護師さんもいて・・・・。病状をあれこれ話すというよりは、「見学にいってどうでした~~?」とか、なごやかに雑談をしていたように記憶している。夫も参加できるように、夜の7時ぐらいだった。
先生方は、とにかく、ドナーさんがよいタイミングでみつかって、移植のための受け入れ病院もみつかって、よかった、よかった、きっと、大丈夫、うまく、いきますよ~~。ということを、ゆったりとお話されました。安心して、流れにのっかっていけばいいといったような意味のことばを言われたような・・・・。
今、思うと、そのときの話って、もう治療方針はきまっているし、検査結果を話された場でもなかったし・・・・お医者さんの側からすると、あってもなくてもいいようなムンテラ・・・。
あのきれいな外来棟で、ゆったりとした時間を作ってくださったのは、きっと、娘やわたしの、ネガティブな気持ちや、親としての、未だ、ゆれる移植への迷い・・・なんかを、察してくださって、安心させるために、あの場をつくってくださったのだと思う。
すごいね。体だけでなく、気持ちも救ってくれるんだね。
転院するちょうど、1ヶ月前のできごとでした。


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自宅からは、電車で1時間もかからない、駅からも近い交通の便のよい病院でした。
S病院の先生から、しっかり連絡をいれてくれていたようで、月曜日という1週間のはじまりの曜日で、なにかと先生方も忙しいだろう日でしたが、すぐに、血液内科のトップの先生が対応してくださる。
しかも、その先生は、発病直後に地元の総合病院から紹介された患者だったということを覚えてくださっていた。
地元の総合病院の小児科は、この大学病院の系列の病院で、まず、最初に、ここをあたってくれたのですが、当時は、血液疾患の患者さんが多かったのか、無菌室の余裕がなかったのか、断られました。
それで、S病院に入院することになったのですが、民間の病院と大学病院・・・・。やはり、同じ病院といえども、全くタイプがちがっていて、ダンナといっしょに見学にいったのですが、ふたりで、おそるおそる・・・・足を踏み入れた・・・感じでした。
大学病院は、やはり、治療第一!といった感じで、廊下に無駄に飾りなんかはなく、殺風景・・・・。それに、たまたま、だったのかもしれないが、静かでした・・・・。廊下に子供の声がしない・・・。(たぶん、見学にいったとき、たまたまそうだったのでしょう・・・)
でも、ちらりとみせていただいた無菌室が、え?これが?という普通の個室で・・・・あんまり、物々しい感じではなかったのが意外でした。
娘は、とにかく、転院したくない!!S病院をはなれるのがいや!お友達や、看護師さんと別れたくない・・・と、ずっと、いい続けており・・・・先生や、看護師さんには言わないけれど、わたしには、ぐちぐち言う・・・。「そんなこといったって仕方ないでしょ~~。」と言うんだけれど、娘の気持ちもすごく良くわかったし、わたし自身も、S病院とまったくちがう雰囲気の病院に不安になっていた。この転院に関しては、やはり、どうしようもなく悲しくて、訪問学級に、転校することになった(特別支援学校のエリアがかわってしまうため)ことを、報告しにいったときに、先生の前で、ボロボロ泣いてしまった。
そんなこんながあっても、転院までのカウントダウンがはじまる・・・・。
その月のおわり、S病院での最後のムンテラがあった。
ムンテラといっても、そのときは、いつもとちがって、外来棟(新館で、きれい)のゆったりとしたラウンジのような待合室で、かかわってくださった先生方がほとんどいらして、プライマリの看護師さんもいて・・・・。病状をあれこれ話すというよりは、「見学にいってどうでした~~?」とか、なごやかに雑談をしていたように記憶している。夫も参加できるように、夜の7時ぐらいだった。
先生方は、とにかく、ドナーさんがよいタイミングでみつかって、移植のための受け入れ病院もみつかって、よかった、よかった、きっと、大丈夫、うまく、いきますよ~~。ということを、ゆったりとお話されました。安心して、流れにのっかっていけばいいといったような意味のことばを言われたような・・・・。
今、思うと、そのときの話って、もう治療方針はきまっているし、検査結果を話された場でもなかったし・・・・お医者さんの側からすると、あってもなくてもいいようなムンテラ・・・。
あのきれいな外来棟で、ゆったりとした時間を作ってくださったのは、きっと、娘やわたしの、ネガティブな気持ちや、親としての、未だ、ゆれる移植への迷い・・・なんかを、察してくださって、安心させるために、あの場をつくってくださったのだと思う。
すごいね。体だけでなく、気持ちも救ってくれるんだね。
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