発病から移植まで。(13)
2010/05/15 Sat
4週間の「早期強化療法A」の後は、
①ネララビン → ②「強化療法 BFM HR3’-1」
→ ③「強化療法 BFM HR2’-1」 → ④ネララビン
と続く。
①と②は順序が逆かも・・・・?(この頃は、もう移植が決まって、呆けたようになっていて日記すらつけていない。)
③と④は、移植する環境に慣れておくため、移植病院で行うことになる。
ネララビン(アラノンジー)というのは、新薬で、再発、難治例のT細胞型リンパ性に非常に効果があるということでした。再発すると、寛解にもっていくのは難しいといわれているT細胞型ですが、このお薬で、寛解になり、移植することができた症例もあると・・・。
寛解導入療法のあと、寛解の状態ではありましたが、「薬がききにくい。」「MRD(微小残存病変)が調べられない。」ということで、この新薬も使って、徹底的におさえておこうと、すすめてくださいました。(自費でしたが・・)
地元の病院で、小児の白血病の治療ができる病院をさがしてくれたときに、唯一、当日、受け入れてくれた病院・・・。幸いにも、小児の白血病治療の第一人者である先生がいらっしゃる病院だった。ここで、治療方針が決まり、化学療法の8割を行った。他の病院だったら、ネララビンは再発でない段階ですすめてくれただろうか・・・・。
こうやって、今、ふりかえってみると、「そんなに、徹底的にたたかないといけないほど、再発の可能性が高かったのか???」と、恐ろしくなる一方で、最先端の治療が受けられた、本当に、ラッキーだったと思います。
【2008年 11月初旬 ?】
ネララビン 890mg(650/㎡/day) 5日間
【2008年 11月13日~11月18日 】
デカドロン 9mg×3 day1 day2 day3 day4 day5
キロサイド 2700mg day1 day2
ペプシド 130mg day3 1回 day4 2回 day5 2回
メソトレキセート 12.5㎎ day5 (髄注)
キロサイド 25㎎ day5(髄注)
アオイナーゼ 20000U day6 (day11は副作用のため中止になる。)
これが、「強化療法 BFM HR3’-1」
BFM(Berlin-Frankfurt-Munster)は、ドイツの治療グループです。


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①ネララビン → ②「強化療法 BFM HR3’-1」
→ ③「強化療法 BFM HR2’-1」 → ④ネララビン
と続く。
①と②は順序が逆かも・・・・?(この頃は、もう移植が決まって、呆けたようになっていて日記すらつけていない。)
③と④は、移植する環境に慣れておくため、移植病院で行うことになる。
ネララビン(アラノンジー)というのは、新薬で、再発、難治例のT細胞型リンパ性に非常に効果があるということでした。再発すると、寛解にもっていくのは難しいといわれているT細胞型ですが、このお薬で、寛解になり、移植することができた症例もあると・・・。
寛解導入療法のあと、寛解の状態ではありましたが、「薬がききにくい。」「MRD(微小残存病変)が調べられない。」ということで、この新薬も使って、徹底的におさえておこうと、すすめてくださいました。(自費でしたが・・)
地元の病院で、小児の白血病の治療ができる病院をさがしてくれたときに、唯一、当日、受け入れてくれた病院・・・。幸いにも、小児の白血病治療の第一人者である先生がいらっしゃる病院だった。ここで、治療方針が決まり、化学療法の8割を行った。他の病院だったら、ネララビンは再発でない段階ですすめてくれただろうか・・・・。
こうやって、今、ふりかえってみると、「そんなに、徹底的にたたかないといけないほど、再発の可能性が高かったのか???」と、恐ろしくなる一方で、最先端の治療が受けられた、本当に、ラッキーだったと思います。
【2008年 11月初旬 ?】
ネララビン 890mg(650/㎡/day) 5日間
【2008年 11月13日~11月18日 】
デカドロン 9mg×3 day1 day2 day3 day4 day5
キロサイド 2700mg day1 day2
ペプシド 130mg day3 1回 day4 2回 day5 2回
メソトレキセート 12.5㎎ day5 (髄注)
キロサイド 25㎎ day5(髄注)
アオイナーゼ 20000U day6 (day11は副作用のため中止になる。)
これが、「強化療法 BFM HR3’-1」
BFM(Berlin-Frankfurt-Munster)は、ドイツの治療グループです。


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コメント
発病時地元県内では受け入れができず、都内もかなりの数をあたってもらいましたが、最後は地元病院の小児科医長先生がボス先生とつながりがある方で受け入れとなりました。でもそのおかげで今があるんだなとわたしも思っています。
コメント、ありがとうございます。
実は、うちは、一度、ボス先生に、振られているのですよ。(発病直後に、血液内科の小児科がある病院をさがしてもらったとき)
移植することになって、10月に、はじめて、ボス先生に会ったとき、「7月に相談のあった方ですよね。あのときは、いっぱいで・・・すいませんでした。」と、おぼえてくださっていて・・・感激しました。やっぱり、ここに来ることになっていたんだ!!って・・・。
いつ、どこで、どんな先生にめぐり合うかはもう、運命としかいいようがないですね。
病気になったのはアンラッキーだったけど、そのあとの出会いは、ラッキーの連続だったように思います。