発病から移植まで (6)
2010/04/06 Tue
2008年7月22日からはじまった「寛解導入療法B」が、42日後の9月1日におわりました。
嘔吐、便秘、腹痛と副作用に悩まされ・・・プレドニンの大量投与で、気分が安定しないなど、いろいろありました。
ただ、時間がたつと、病院の環境にもなれ、同じお部屋のお友達と遊んだり、週3回、院内学級で、授業を受けたり、・・・治療以外の「生活」の部分がすこしつづ増えてきました。
院内学級は、小児科外来棟に、教室があり、免疫力がとても低いとか、体調がわるくおきられない状態であれば、病室でも、もちろん授業をしてくれるのですが、みんな、教室に行くの楽しみにしていました。ベッドを離れ、教室で、学年はちがっても、みんなでワイワイ勉強ができるので、とても、よい気分転換になったと思います。
陶芸の授業があって、みんなで色付けをする授業のときに、ちょうど、赤血球の輸血と重なり、病室にいなければならなくなりました。(輸血中はアレルギーがでるかもしれない・・ということで、)楽しみにしていた授業にいけず、沈んでいたところ、ベテランの看護師さんが、「病院内にいるんだから大丈夫やろ~」と、先生にねじこんでくれて、参加できるようになったことがありました。そんな、子供の楽しみ、治療以外の部分を、一生懸命もりあげてくれる恵まれた環境にいました。
寛解導入療法の間は、LK(芽球=白血病細胞)の値が増えることはありませんでした。(今にして思うと、抗がん剤治療中だから当然ですよね・・・・)でも、これで、移植の話はなくなるかも・・・と、淡い期待を抱いていました。
9月2日
骨髄の検査(マルク)を行う。
このころ、38度の熱がつづいていた。抗生剤の点滴。免疫グロブリンの点滴。
指先のしびれを訴える。がまんできないほどではない。指先や、足先の冷感 ↑ 。
9月3日
生食禁止が解除となり、メロンがでた!!と喜ぶ。熱はときどき、39度以上になることも・・・。
20:00ごろ、主治医のK先生がベッドサイドにくる。ベッドから少し、はなれて、カーテンをひいて、娘にはきこえないようにして、マルクの結果の話。I医大からの回答で、MRD(微小残存病変)が調べられないタイプだった。といわれる。R医療センターに他に調べられる方法はないか問い合わせているところだと・・・。
9月4日
いろいろ用事をすませて、病院へ着いたのは、午後5時ごろ。ベッドの上で、横になって泣いている。きのう、ベッドサイドで聞こえないようにした話が、きこえていたらしい。「自分の病気はなおらないの???」と泣く。
病気のこと、治療のこと、「どうせ、なるようにしかならないでしょ!」というスタンスで、自分からはいっさいお医者さんには質問しなかった娘。「君と白血病」も、読んで見たら?とすすめても、全く興味なし。だったので、主治医と親の話も、全然気にしていないと思っていたのだが・・・・。カーテン越しに、じっと、耳をすませてきいていたんだ・・・・。そして、「・・・・わからないタイプ・・・・」なんて、言葉をきいて、一晩、不安で不安でたまらない夜を過ごしたんだろう・・・。
MRDのことを、簡単な言葉で正確に説明して、娘を安心させる。
でも、安心なんて・・・したのかな・・・・。きっと、してないよね。意味がわかったところで、自分の命が危険にさらされていることにかわりはなかったもの。
コメント
治療上のきつい話は病室の外でまずは親から。娘の主治医O先生はどんな時も貫いていました。普段はかったるそうな雰囲気で血液グループの他の先生方とカラーが違う感じの若いパパ先生なんですが。
コメント、ありがとうございます。
今でもそうなのですが、うちの娘は、自分の病気のことや、治療内容については、本を読んだり、先生や、看護師さんに質問したり・・・など、自分から、情報を得ようとすることは、ほとんど、ありません。(というか、全く・・・)
でも、テレビで、小児科病棟のドキュメントなどがあれば、食い入るように見ています・・・。
やっぱり、自分のことは、こわいのだと思います。
でも、そんな素振りをみせないので、ついつい、大丈夫なんだと錯覚してしまうのですが・・・。慎重にせねばいけませんね・・・。
O先生は、直接の担当ではないのですが、血液の患者だということで、うちの娘にも、病棟や、外来で、いつも声をかけてくださいます。
娘が身長のことで、外来で泣き出したときも、「どした、どした??」という感じで、覗きにきてくれたり・・・。
一見、強面(先生、ごめんなさい!!)なんですが、とても、情が厚い方なのでしょうね。そして、細かい、気配りができる・・。
声をかけてもらえるだけで、なんだか安心してしまいます。